遅まきながら

知人の日記にコメントしようとしたのをきっかけに、はてなに登録して日記を使ってみました。

http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20060217/1140277735

http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20060219/1140357058

http://d.hatena.ne.jp/rulia046/20060219/p1

http://d.hatena.ne.jp/carrion-crow/20060209/p1

http://d.hatena.ne.jp/REV/20060219#p5

http://d.hatena.ne.jp/K_NATSUBA/20060219#1140351031

最初は殆ど自分の確認のために書きますが、絵においてレンズの効果を出すことの最も大きな意味はリアリティを出すことというのはrulia046さんに同意です。本来肉眼と同等に描ければ良いのかも知れませんが、レンズを通した画像を模倣することで客観的な正確さを追及できる。そこでなぜ歪みのあるようなレンズ効果をも模倣するのかといえば、これまたrulia046さんのおっしゃるようにそうすることによって初めて得られる効果があり、達成できる演出意図があるからですね。これ自体は写真を撮る時にレンズを選ぶのと同じですね。さらにアニメの話も混じってきますが、レンズの限界が露呈する場面を模倣することで演出意図を強調する場合もありますね。凄く早いとかまぶしいとか。これらの効果が肉眼の限界との関連により得られるのか、レンズを通した画面を見た記憶を喚起させるのかは議論の余地がありそう。ケースバイケースな気もする。逆に、なぜ肉眼やレンズの視界に囚われない自由な作画をしないかと言えば他人の理解を得るためというのが大きいのではないでしょうか。そこから外れた作画をするにも、上手い人はどのように外して、それにより見る人に何を余計に伝えられるかを計算する。

大して知識も無いくせに誰も言わないので言うのですが、今回の有村さんの絵について言えば、残念ながら広角にしようとしたと主張しているだけと言う感はありますね。つまり、樽型に歪ませただけ。ところがこれもバカにできないというか、絵なのにレンズを通して見た画面っぽいと言う違和感を感じさせるというのは広角っぽい絵の一つの大きな効果とは言える。でも、やはり実際にレンズを使ったことがないためかrulia046さんの指摘されたような感じになったというわけですね。ありむーさんも解ってらっしゃる気もしますが、奥行き方向のゆがみ(遠近感の強調)があまりないし、絵の範囲を広く取った感もあまりないせいではないでしょうか。

絵であえて広角をやるだけに、(上手い人が余程微妙な効果を狙うならともかく)より意味の有るというか効果的な広角である必要がある。つまり遠近感は強調する必要があるし、引き気味で描くなら対象が無駄に切れているというのはまずい。樽型に歪ませるというのは「絵だけど広角だ」と主張する上では有効ですが、本来歪み単体では弱点なので、他の特徴と一緒に出さないとまずいというか有意義でない。

机とその脚、中央の人の脚など遠近感を強調するために使えそうな部分は多少ウソでも違いを出すと効果的です。
頭の上が開いている割りに足が切れていたり、左右の人が微妙な位置で切れていると失敗っぽく見えます。

というか、そもそも広角を効果的にするには、空間に対象を配置する段階でカメラと各対象物の距離にもっとバリエーションが無いといけないわけです。近い物と遠いものがあって初めて遠近感が出るので。この絵を例に手っ取り早く言えば真ん中の人がカメラに手を差し伸べるとか、手前に何か机とか人影とかをなめてメインの対象を描くと効果的なわけです。

(追記 ただ、この絵の狙いがあるとすれば左右対照で印象的な構図だ思うので、広角の歪みだけを利用すると言うのは成功かと言われると微妙ですが一理あるかもと言う気もして来ました。)

まあ今の有村さんの自然な作風と広角は相性がよくないかもしれないですね。
長くなりましたが、とりあえず絵で広角っぽくする意図としては、遠近感の強調が一番だと思います。それにより、単に自然な画面と比べて僕の感覚では絵の攻撃力、暴力性が増すと思います。思うにこれには近いものが大きく見えることによって自分にぶつかるのではないかという感覚に襲われるということが大きい気がします。自分で写真を撮ったりCGのカメラを設定する時に、見る人を絵で攻撃してやろうというノリで広角にするので。これはスピード感についても近いことが言えますね。

と、いきなりあまりに長くなったのでやめます。


追記
ちびまる子、ドラえもんなどのように、一見肉眼もレンズも模倣せずに他人に理解されやすい絵をかくこともできますね。これは現実の模倣からのデフォルメもしくは特定の意味性の抽出ではないでしょうか。むしろこの手の絵から出発してリアルになってきたという流れもあるのでややこしいですが。つまり上の駄文で言えば上手い人があえて外して作画する範疇ということです。