アクエリオンの薦め

エヴァの影でひっそり劇場版が公開されるロボットアニメがある。
アクエリオンである。
2005年に放送されたTVシリーズは、作品の規模としては一部でカルトな人気を呼んだ異色作と言う程度の存在であり、数年後に劇場公開されるのは不自然に感じられる。
言ってしまえば、今回の劇場版はSANKYOマネーのおかげで俄かに公開される運びとなったように見えてしまうし、ファンとしては、大丈夫なのかな?と不安にならざるを得ない部分もある。元々カルト的な作品なのであまり大ヒットは狙っていないとは言え、せっかくの劇場公開なのでなるべく多くの人に見て欲しいところである。

また、作品規模に不釣合いな頻度で放送されている強烈なテレビCMで初めて作品の存在を知り、興味を持った方も中にはいらっしゃるかもしれない。
http://gattai.jp/pc/index.html

そこで、TV放送時、アクエリオンが大好きだった私がお勧め回をピックアップしてご紹介しようと思う。
簡単に説明しておくと、アクエリオンは合体ロボットアニメであるが、ギャグアニメとしての側面がファンに愛されている部分である。しかし、それはただのギャグではない。
本作は、物事を極限まで突き詰めていくとギャグになってしまうということを、わかった上で意識的に実践した作品と言えるだろう。単に受けを狙ったギャグではなく、物事を真面目に突き詰めていくことで、シリアスなフェーズの上にあるギャグの境地にまで達しているのだ。

似たような内容ばかりでかわりばえのしない「普通のアニメ」に食傷気味の方には特にお勧めしたい。

全26話中、お勧めの7話を紹介するが、これは話をダイジェストで把握することよりも、面白い回を楽しむためのセレクションであることをお断りしておく。

最初にお勧め話数を並べておく。

第1話「天翅の記憶」
第4話「はだしの戦士」
第6話「想い彼方へ」
第17話「食べたくて合体」
第18話「魂のコスプレイヤー
第19話「けがれなき悪戯」
第26話「世界のはじまりの日」

第1話
キャラクター・設定を最低限把握できてその後の話数を楽しめるし、映像面でも見所が多い。

第4話
アクエリオンと言う作品がその真の姿を表し始める話数。

第6話
一部で話題を呼んだ荒唐無稽な必殺技が初登場する。

第17話
河森監督の前作アルジュナを髣髴とさせる食物をテーマとした話数。

第18話
本筋の合間のお遊びの回と思わせて、事実その通りでありながらシリーズ全体のテーマが語られる最も重要な話数でもある。必殺技のインパクトもシリーズ最高水準であり、必見。
キャラクターを把握していることが前提の内容なので一見さんには厳しいが、シリーズ全話数から1話だけ選ぶとしたらこの話数かもしれない。

第19話
アニメーターうつのみやさとるによる異色の作画でファンの不評を買い、公式ブログのコメント欄に批判的なコメントが殺到した曰く付きの話数。

第26話
最終話。作品の真骨頂とも言えるラストは必見。


ストーリーに興味がある方は、2話、12話、13話、21話〜25話あたりも見ても良いかもしれない。

また、上記話数を見て面白い回がもっと見たくなった人は、他の中盤の話数も見てみると良いだろう。


アクエリオン、そして不遇の傑作ノエインを制作後、失速しているように感じられたサテライトだが、マクロスの新シリーズが控えているので今後は勢いを取り戻すだろう。まさにSANKYO様様であるが、そろそろ内容面での傑作だけでなく、商業的な大ヒット作を自力でものにしてほしいところである。

けなされているだろう「N.H.K.にようこそ」19話のために

またぞろけなされているであろうN.H.K.にようこそ19話のために、以前4話のために書いたものを再掲。
http://d.hatena.ne.jp/fu_tokino/20060801
http://d.hatena.ne.jp/fu_tokino/20060802
と言っても殆どここに日記を書いてないのですぐ前にあるけど(笑。
しかし、N.H.K.ではスタッフが普段とあまり変わらない布陣でも回によって急にはっちゃけたことをするので油断ならない。今回絵コンテ・演出・作監の川畑氏は3話か何かでも割と良い回を担当してたし、ブレイブストーリー作監の一人にクレジットされていた。ゴンゾの中堅と言う感じだろうか。4話の夏目氏も原画で参加してたっぽい(電波状態が悪くクレジットを読みにくい)。

今回も見所は多かったが、中でもパッと思いつくところでは最初の方で女がかなりパカパカと動くあたり、最後の方で兄が倒れるあたり(森久司みたいな感じ)、一連の出前描写(特に暖簾をくぐって自転車に乗るカットは最高!)などが目立っていた。

ゲド戦記おもしろかったよ?

(注 これは3週間くらい前にミクシィ日記に書いたものをまとめたものです。
ゲド戦記は自分としては結構面白かったのですが、あまりに酷評ばかりが目立つので例によって擁護することにしました。
本当は前にも書いたように、ナルト劇場第三作、ブレイブストーリー時をかける少女を加えて劇場アニメについて書こうかなどと思っていたのですが。
…しかしここは不人気アニメの擁護ブログなのか?まあ相当な天邪鬼なことは確かですね。

3つに分かれていたものを適当につなぎ合わせたのでちょっとおかしいところがあるかも知れませんがお許しを。)



ゲド戦記おもしろかったよ?

いや、変なレトリックとかじゃなく、本当に。

もちろんつたない部分はたくさんあったし、楽しめなかったり、文句を言いたくなる人が多いのもわかる。

楽しめない人が多いのは、この作品が提供する一番の面白さが、散歩や登山、作中にも出てきた家事や農作業のようなものがもつ面白さであり、娯楽アニメに期待される面白さとは大分ずれているからだと思う。僕が言うのもなんだが、アニメファンの人にはつらいかもしれない。

個人的にはNHKの小さな旅や、映像詩里山を楽しむようにして楽しむことができた。話の上ではなんでもない部分が一番気持ち良かったというか。移動シーンがその筆頭だけど、他には食事シーンとか。
監督は大学で森林を学んだ人なので、僕と好みが近かったんじゃないかと思う。

逆にクモ一味に関しては、アンチテーゼをわかりやすく代表させて映画をまとめるための安全策としてああいうのを出そうという考えが出てくるのは(誰の考えかは別にして)わかるけど、やり方が監督の嗜好とずれているように感じて逆効果だったのではないかと言う気がする。

いっそ、クモ一味は全く出さずに農作業と旅と食事を繰り返して、テルーと仲良くなりつつ収穫を迎えるまでを描いてくれたほうが良かったのではないかとすら思う。

一層好みが分かれる結果にはなっただろうが。

例え話で言うと、宮崎駿って口では玄米が良いんだと言いながら、実は甘くて柔らかい白米の方が好き、というタイプだと僕は思うんだけど、吾朗監督は素で玄米の味の方が好きなタイプだと思うんですよ。

大雑把な言い方を続けると、駿作品って、義務感などから表面上は玄妙なテーマを扱いつつも本音の部分はアクションと異性の描写にあったからこそ大衆的な人気があったと思うんだけど、吾朗監督は玄妙なものを本心から好んでいる、と言うか。そこがゲド戦記には合っていたわけだけど。

ちなみにこの例え話で言うと、高畑監督も宮崎駿と同じく実は白米の方が好きなのに政治的な信条から玄米を食べるべきだ、と言っているタイプなんだけど、駿が影でこっそり白米を食べまくっている一方で高畑監督は玄米食を貫いている、と言う感じ。妄想ですが。

そういう意味で、表面的には高畑監督の作風に似ているんだけど(まあ洗練度は段違いだが)、高畑監督の日常描写にある修行のような感じがない。
自分からごく自然にやっていると言うか、むしろ楽しそう。ゲドが食べ終わった椀をいい加減に洗うところとか。

あと象徴的だと思ったのが、パンに紫たまねぎのスライスを乗せるところ。駿監督だったらあそこで子供に嫌われやすい食べ物は出さなかっただろうし、出すなら出すでその必然性とリアクションを入れると思うんだけど、吾朗監督は普通に美味しいと思っていそう。

押井監督との対談で不健康さが足りないとか、フェティッシュをもっと出した方が良いと言われていたけど、押井監督が不健康すぎて吾朗監督の好みが理解できなかっただけなのではないかと思う。

高畑・駿作品の美術、特に自然描写には個人的に不満があったんだけど、今回は監督が専門家なだけあって不満が少なかった。必要に迫られて調べたのではなく、山や草原や建築のことが好きな人がやった感じが出ていた気がした。もののけ姫の森描写にすら不満があったのに。
ついでなので詳述すると、もののけ姫の最大の不満点は大木ばかりが目立ちすぎることなんだけど、それは作品テーマには丁度良かったので、良いとも言える。
屋久島に行った時にもののけ姫のロケハンが行われたところと言うのがあって、車で行って簡単に見れるところだったので、どうも良くない印象を持っていると言うのもあるんだけど。


作画面では、スケジュールが短い分詰めが甘いところがあったりボリュームが減ったりしたような気はした。特に町のモブはジブリにしてはかなり省力化された表現になっていたと思う。前述のように監督の作風だと思うけどアクションも少なかった。でも、アクションの出来は演出も含めて思ったより良かった。
冒頭の竜の質感はどうやったんだろう。ハウルの城描写の時のようなやり方ではあれだけの動きはつけられない気がするんだけど。終盤の竜は質感が付いてなくて残念だった。キャラクター性があるから作画の質感で統一すると言う意図があったのかもしれないけど。
クモの最後が橋本晋治だと思うけど、すごかった。ジブリ長編作品史上最も原画の個性が出たシーンではないだろうか。でも、それ以外は特筆するほどのことは無かったかな。大塚伸治の担当部分の説明がプログラムに載っているけど、ハウルの時ほどの活躍ではなかった。
葦原で葦が全部動くカットがあったけど、CGかな。
(正確には葦とは別種だったけど。)

初監督でいきなりゲドは良くないとか、駿版が見たかったとかの意見も見かけるけど、僕の印象としては、監督本人も言ったとおり、ゲド戦記だからこれでなんとか行けたのであって、他の作品だったら無理だったと思うし、駿監督だとゲド戦記らしくならなかったと思う。まあ原作者が見て何と言うかはわからないけど。

(追記
やはり原作者も不快感を表明したようですね。まあ引き金は監督ブログでの発言だったようですが。ゲド戦記には駿より吾朗監督のほうが向いてると思うんだけどなあ。)


結局、禁欲的な原作と監督の嗜好が一致して、禁欲的であること自体が逆に面白さを生むと言う珍しい現象が起きていたのではないかと思う。そういう意味ではある種のマゾ映画で、見る人に少しでもマゾっ気があれば見ている間だけはマゾになれるような気がする。

宮崎・高畑作品では、生活描写を面白く見せるために色々な工夫をしていたわけだけど、なぜそんな努力が必要かといえば、自分自身の好みに鑑みて、ただ生活描写を見せても面白くならないと思っていたからだと思うんですよ。だから、宮崎駿で言えばハイハーバーの描写が理念的には正しいのにいまいち面白くならなかったし、食事シーンで言えばチーズや目玉焼きのような普通に美味しいものを食べる場面を出すか、ナウシカのように逆に「マズイ」という面白さを出すかでないと面白くならなかったわけだけど、これが吾朗監督だと非常に微妙なものを美味しいともまずいとも言わずに食べることが何故か無性に楽しい。

「原作と比べてスケールが小さい」みたいな不満も見かけるけど、思うにこれは監督が原作よりさらにゲド戦記らしさを強調した、いわば「濃縮ゲド戦記」を目指した結果なのではないかと思う。つまり、スケールを大きくすることで娯楽として普通に気持ちよくなってしまうのを避けたと言うこと。

宮崎駿がやっていたら外面はともかく本音の部分が真逆なので、ゲド戦記のフリをした宮崎アニメにしかならなかっただろうし、高畑監督がもしやれば外側も内側もかなり端整なものができただろうけど、それでも吾朗監督ほどのマッチングではなかったのではないかと思うし、ゲド戦記とは言えそもそも海外のファンタジーは引き受けないだろうとも思う。そういう意味で吾朗監督の起用は色々問題はありつつもゲド戦記をアニメ化する上では最上の選択だったのではないかと思えるし、結果的に成功と言っていいのではないかと思う。

普通の娯楽を期待すると全く逆なので、注意が必要だけど。
せめて玄人の人には是非この面白さを味わって欲しいなと思った。




読み返してみると我ながら殆ど妄想だなあ。

まあ、期待しないで見ると良いですよ。最初に書いたように失敗や至らない部分も多々あるのでそれでも楽しめる人、具体的には映像や話の流れが見難かったり、語り口がぎこちなかったり、張りぼての裏側が多少見えているくらいでは文句を言わない人でないとあまり楽しめないだろうと言う気もするし。
これじゃあその時点で殆どの人はダメな気もしますね。まあ、ほめすぎた気がしてきたぞ、というだけです。



最後にプログラムの鈴木敏夫紅の豚の台詞を引き合いにした文章に対するネタ。
つまり、吾朗監督が美少女だったら何も問題なかったのに、と言うことですか。


(追記
日テレの満員御礼特番を見ました。旅をテーマにしたやつ。youtubeに上がってますが、小学生の旅の部分がカットされているのが残念。そっちの方がゲドっぽかったと思うんだけど。
吾朗監督はやはり登山をやっていたのですね。信州大学で森林を研究してたというところまでは知っていましたが。どうりでわかってるわけだ。食器の雑な洗い方で、これを作った人は登山をやっているに違いないと思っていました。納得。)



あ、「時をかける少女」は非常に良かったのですが僕が新たに言いたいことはあまり無いので、まだの人は是非劇場で見てください、と言うだけにします。
ナルトの第三作も都留監督の劇場監督デビューですし、例によってアクション等の作画がたっぷり楽しめる作品になっていたので、是非。

そしてブレイブストーリー戦闘妖精雪風などのCG監督白井氏のセミナーがあります。
http://www.comsup.jp/anime/semiinfo.html
9月1日飯田橋にて。

コメントへの返事と作画の個性論争

前の日記にいただいたコメントに返事を書いていたら長くなってしまったので途中で別エントリにすることにしました。文章におかしいところがあったらごめんなさい。

N・H・Kにようこそ!」の4話はリアルにしている部分と感覚的な誇張をしている部分の振れ幅が大きいんですよね。oyadge01さんのご指摘の部分には確かに普通はやらないようなリアルな表現をしているカットがありました。メイド喫茶に入る直前、入り口をまたぐ主人公の尻のあたりを捉えたカットですね。それと前の日記にも書きいたことですが、主人公が寝ているカットのリアルさは相当なものでしたし、冒頭でPCの前に座って悩む主人公もなかなかのものでした。
個人的には作画の振れ幅が大きいと言うことは非常に良いことだと思います。言ってみれば、カットごとに(キャラクターの造形を含めた)絵を変えられると言うことはアニメの特権なわけで、そこを弱点としか感じられないのは不幸だし、あまり良い結果につながらないと思います。人間は同じ顔ですが、アニメキャラは顔が変えられるんだ、と言うポジティブシンキングです。
絵の変化とそのコントロールこそがアニメ作りの要点ですから、もちろん変えれば良いというものではありませんが、逆に全て設定どおりにすることが正解と言うわけでもないと思うのです。全て同じ絵にするのではなく、絵の変化をコントロールするべきだ、と言うことです。この「コントロール下にあるかどうか」の意味で「演出意図かどうか」と言う言葉が作画の個性論争では良く使われているわけです。
劇場アニメでは担当原画マンの個性に合ったカットを割り振ることは当たり前ですが、それ自体原画マンの描く絵が違うことが前提になっているわけで、作画監督も全てを設定どおりに直すわけでもない。今回のようにTVで意欲的な作画をするとコントロールが荒くなってしまうことはあるわけですが、それでも僕の見たところ多少なりともアニメに通じた人に対してであれば意図したものを伝えられる域には達していたと思うのです。
もちろん、基本的には視聴者はアニメキャラの演じるドラマへの感情移入を期待していて、振れ幅の大きい作画は余程上手くコントロールしないと人為を感じさせる結果となって(実写で言うクサい芝居に近い)興がそがれると言うのはわかるんですが、それが演出家の高度なコントロールの元に上手くかみ合った時には、設定どおりの絵による記号的な表現の組み合わせでは不可能な域の感動を伝えることができると思うのです。それこそが多くの劇場アニメが目指しているところだと思うのですが。
別の言い方をすると、要するに同じ絵を使うことで記号性は増し、それぞれの絵の意味を共有しやすくなり、誰もが理解しやすくなるわけですが、記号的な表現のできることには限界があるわけです。例えば複雑な感情や強い感情などを伝えられないというような。そういう意味で、2chの高速かつ記号的なコミュニケーションには記号性が高いアニメのほうが向いているような気もしてきます。
まあ今回は作り手の側も理解されない危険を承知で思い切った表現を採用して冒険している部分はあるんじゃないかと思うんですが、できれば影響力のある大手サイトの方くらいには善し悪しの判断は別にしても意図や意気込みには気付いてあげて欲しいところです。

N・H・Kにようこそ!4話の作画を擁護する

MOON PHASE 雑記でも
「あと、今回は作画が結構やばかった。最近話題の作監の癖とかそう言うレベルの話ではなく。」
と認定されてしまった昨日の「N・H・Kにようこそ!」4話の作画。
http://d.hatena.ne.jp/moonphase/20060731#p2
僕はtvkでリアルタイム視聴した時点で「これは凄い作画アニメだ!」と思ったのでミクシィに少し書いたのだが、今回はあまり有名なアニメーターが関わっていないこともあり、擁護する人が少なそうなので、このはてなでもしつこく擁護してみることにした。

エロゲーを作ろうとした主人公達が秋葉原へ行く、と言うような回。

その1
http://www.youtube.com/watch?v=KzlRXMG4c9M

その2(↓中盤の美味しいところが大体見れます)
http://www.youtube.com/watch?v=aj5NnfoxdQQ

その3
http://www.youtube.com/watch?v=_RkJ8F9zY0o

シンプルな線と感覚的なデフォルメ、多めな原画枚数のわりに中割は少な目で動きに飛躍を持たせるといった最近の作画マニアの方向性を突き詰めたような作画がほぼ全編にわたって展開した回で、一部突き詰めすぎたのか、はたまた原画段階でリソースが無くなったせいなのか、全く中割が入らずカクカクしてしまっているが、個人的にはその辺が特に良かったと言っても過言ではない。
仕上げ以降は普通に作業されているし、動画・仕上げはほぼまとめて海外に丸投げのようだし、この部分の動画だけを描かないことによるメリットは殆ど無いので失敗っぽく見える部分も意図的なものだろうとは思うのだが。あるいは単に2原以降でのミスを時間的にチェックしきれなかったか。それもまず無いだろうと思うが。

具体的には、妄想の幼馴染シーン(youtubeその1の4分27秒あたり)は失敗臭かったが、引きこもりの主人公を連れ出そうとするシーン、とらのあな風の店ではしゃぐシーン(youtubeその2全体的に)などは絶妙だった。


また要所要所では逆にリアルな描写がなされていて、Aパート終盤で主人公が暗がりで寝返りを打つ2カット(youtubeその2冒頭)はかなりのリアル作画。線・枚数を増やしたカットに限ってまともに見せないといったあたりが粋というかひねくれてると言うか。自分も最低画質で録っていたこともあって線が良く見えないし、PCでは一層見えずらい。是非youtubeをフルスクリーンにして見てみてください。
家を出て電車に乗るまでの数カット、秋葉原の店、雑踏などでレイアウトをリアルに描きこんでみせるカットやモブなどもさりげなくなかなかの出来だった。


回想シーンは普通だった。使い回しがあったせいかもしれないが。それ以外でも基本的に女性の顔は崩さない親切設計だったのは制作者が作画マニアなだけでなく萌えオタクでもあるためなのかもしれないし、作品にも合っていると言えるだろう。


ちなみにスタッフ名も良く読み取れなかったが、ネットで実在の原画マンと照らし合わせつつ書き出してみた。

作画監督 夏目真吾?
原画 夏目真吾? 秋山由樹子? 河合利恵? 三輪和宏? 矢上孝一?





本当は、次はゲド戦記、ナルトなどを見てから夏の劇場アニメについて「時をかける少女」を中心にまとまったものを書こうと思っていたのだが。

もちろん「時をかける少女」はお勧めですよ。本命の細田作品としての期待に応えた作品と言って良いと思います。小規模な公開ですが、見ていない人は是非。

今期の新アニメ雑感と京アニについて

せっかくなのでたまにははてなに書いてみよう。

新番で面白かったものなど。
トップ集団は今のところゼーガペイン涼宮ハルヒの憂鬱ホスト部くらいかなあ。
次点は西の善き魔女獣王星、ホリック、うたわれるものブラックラグーンNANAひぐらしと言う感じ。
シムーンいぬかみ、牙、夢使いガラスの艦隊ガーゴイルストロベリーパニックザ・サードウィッチブレイドチャングム、女子高生あたりは余力があれば見る。
SOUL LINKディスガイア銀魂、ひまわりは多分切る。
ひまわり、放送前にはokamaのイラストしか見ていなかったので実際の画面とのギャップが大きい。違う作品のようだ。2話くらいは見ておくんだったかなあ。
シムーンは設定とビジュアル面は面白いのだが時間がハルヒと半分被ってる。
いぬかみっ!の2話は絵コンテ・演出・作監を一人でやっていて色々な意味で個性的・意欲的だった。また個人的に後輩の自主制作を思い出さずにはいられなかった。
RAYは一話を見逃したが、二話は意外と良かった。


ゼーガペインは大して気にしていなかったのだが、意外に良い。今作るロボットものがどうあるべきか、といったことを考えて作っている印象を受けるし、映像・演出面も割と上品で印象的。ちなみにキャラデザの山下明彦ジャイアントロボハウルの動く城作監。チーフアニメーターは見かけない人だがジブリ出身のようだ。CGの動きについては可もなく不可もなくといった印象だがメカデザインがいまいち好みではない。次回は中山勝一回のようだが西の善き魔女ももっと頑張って欲しい。こっちは期待ほど面白くないので。

ホスト部はまあさすがに面白いのだがこのスタッフならもう一声頑張れる気がするので今後に期待。

ハルヒフルメタふもっふ・TSRに続く角川と京都アニメーションの作品。
やけに滑らかなOP・EDアニメーション、実写自主映画を精密に再現した第一話など、色々と物議をかもしているがさすがに興味深い作品である。


京アニ作品にはいびつなところというか、他のハイクオリティ作品とも一線を画すところが感じられて興味深いなあと前から思っていたので、殆ど根拠のない推測なのだが、ちょっと書いてみようと思う。
思うに、京アニ作品の一番の特徴は動画・仕上げの安定感・丁寧さなのではないか。
今のアニメ業界で、アニメの良さというのは脚本・絵コンテ・原画まででほとんど決まっているかのような印象を受けるし、実際原画がひどければ動画で良くすることはできないだろう。上質なアニメは効率の良い絵コンテとスペシャルな原画で作られる。そんな価値観を突き詰めているのが例えばガイナのトップ2ではないかと思う。
しかし、京アニ作品の場合動画・仕上げの頑張りが作品の印象のかなりの部分を決定付けている気がする。他のパートに比して動画・仕上げの上質さが際立っている気がすると言うか(京アニ作品を見て絵コンテとかそこまで良くないのに何で良いんだろう、と思ったことありません?)。もともとのスタジオの出自とも関わっているのかもしれない。
↓ちなみにwikiぺディア「京都アニメーション
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AC%E9%83%BD%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3
AIRでの線が多いくせに良く動くキャラと目の処理は動画・仕上げへの信頼がなければできなかっただろうし、ハルヒのOP・EDのような動きは原画だけでなく動画が上手くないと無理であろう。3コマでも無いのにフル原画では枚数が多すぎるので、動画で中割をしていると思うが、動画が単純な中割しかできないのではあの滑らかな動きにはならないだろうからだ。まあ原画までしかクレジットされていないので全部原画マンが描いただけかもしれないが。
ちなみにそんな京アニの動画・仕上げを支えているのは京アニの若手と大阪にある京アニの関連会社アニメーションDo(これについては京アニのサイトの会社概要に関連会社と記されている。http://www.kyotoanimation.co.jp/data/company/company_gaiyou.html)、Ani Villageという韓国の会社であるが、Ani Villageももともと京アニのパートナーとしてできた会社のようである。

公式サイト(http://www.anivillage.net/j_index.htm)から引用すると次のようである。


アニビレッジは…
アニメーションを通じて大韓民国そして、全世界の子供達と青少年に夢と希望を与えるために設立されました。
世界最強の日本と提携し、力をあわせていい作品を作るという目標の下に“MUNTOⅠ、Ⅱ”、“フルメタルパニック ふもっふ”“クレヨンしんちゃん”と“AIR TVシリーズ”の制作社として有名な京都アニメーションさんのパートナーとして、日本のいろいろな有名作品の制作に参加させていただいています。制作.企画、原画、動画、Degital Painting背景そして、3Dと撮影チームを持っている総合アニメーション制作会社へと成長していきたいと思っております。
皆様のご声援よろしくお願いいたします。


長いがちょっと面白かったので全文引用してみた。
ちなみに会社紹介には制作能力まで示してあって面白い。
http://www.anivillage.net/company_j.htm

他のハイクオリティを売りにする作品の動画では片手では数え切れないくらいの作画プロダクションがクレジットされることが多く、その顔ぶれも不安定だが(エウレカノエインかみちゅ等の動画クレジットをD2_STATIONさんなどで確認してみよう)、ぎりぎりまで原画にスケジュールを裂いてしまうので、短期間で動画を上げるために細かい枚数ずつたくさんの下請け先に撒かざるをえないのであろう。また、もともと動画・仕上げを重視していないため自社の動画マンや安定した下請けを確保していない、また動画・仕上げの仕事を受ける側も儲からないのであまり力を入れたくない(国内では動画・仕上げの熟練者が金銭的に成立しなくなったし、海外でもより上流工程に関わろうとする会社が多い気がする。この辺は追記しました)という面もあるだろう。これでは動画・仕上げが荒れるのも無理からぬ話である。京アニ作品では京アニの若手と前述の2社以外がクレジットされることは殆どなく、そういう意味でも非常に安定している。
京アニが良質な動画・仕上げを確保する制作体制を確立しているのは会社としてのポリシーに端を発しているのだろうと思うが、そのことが今のアニメファンの需要とマッチしているのだろうとも思う。アニメ制作者の主流、そして古き良きアニメオタクは絵コンテ・原画の良さを追求してきたような気がするし、動画・仕上げは単純作業であるとしてある種のリストラの対象のように扱われてきたが、今のファンの主流はキャラクターが好きで見ているのだから、動画・仕上げの丁寧さを制作者が思う以上に求めているのではないか、と思う。もちろん前述のように絵コンテ・原画が酷くてはいくら動画・仕上げが頑張っても無駄なのだが。

まあこんなところです。
ある程度考えていたとは言え思いつくままに書いていったので、まとまりが無くて申し訳ないです。個人的には最初の方に書いたように京アニの作品は他と比べて違いが大きくいびつに感じるので興味深く見守っているという感じです。

遅まきながら

知人の日記にコメントしようとしたのをきっかけに、はてなに登録して日記を使ってみました。

http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20060217/1140277735

http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20060219/1140357058

http://d.hatena.ne.jp/rulia046/20060219/p1

http://d.hatena.ne.jp/carrion-crow/20060209/p1

http://d.hatena.ne.jp/REV/20060219#p5

http://d.hatena.ne.jp/K_NATSUBA/20060219#1140351031

最初は殆ど自分の確認のために書きますが、絵においてレンズの効果を出すことの最も大きな意味はリアリティを出すことというのはrulia046さんに同意です。本来肉眼と同等に描ければ良いのかも知れませんが、レンズを通した画像を模倣することで客観的な正確さを追及できる。そこでなぜ歪みのあるようなレンズ効果をも模倣するのかといえば、これまたrulia046さんのおっしゃるようにそうすることによって初めて得られる効果があり、達成できる演出意図があるからですね。これ自体は写真を撮る時にレンズを選ぶのと同じですね。さらにアニメの話も混じってきますが、レンズの限界が露呈する場面を模倣することで演出意図を強調する場合もありますね。凄く早いとかまぶしいとか。これらの効果が肉眼の限界との関連により得られるのか、レンズを通した画面を見た記憶を喚起させるのかは議論の余地がありそう。ケースバイケースな気もする。逆に、なぜ肉眼やレンズの視界に囚われない自由な作画をしないかと言えば他人の理解を得るためというのが大きいのではないでしょうか。そこから外れた作画をするにも、上手い人はどのように外して、それにより見る人に何を余計に伝えられるかを計算する。

大して知識も無いくせに誰も言わないので言うのですが、今回の有村さんの絵について言えば、残念ながら広角にしようとしたと主張しているだけと言う感はありますね。つまり、樽型に歪ませただけ。ところがこれもバカにできないというか、絵なのにレンズを通して見た画面っぽいと言う違和感を感じさせるというのは広角っぽい絵の一つの大きな効果とは言える。でも、やはり実際にレンズを使ったことがないためかrulia046さんの指摘されたような感じになったというわけですね。ありむーさんも解ってらっしゃる気もしますが、奥行き方向のゆがみ(遠近感の強調)があまりないし、絵の範囲を広く取った感もあまりないせいではないでしょうか。

絵であえて広角をやるだけに、(上手い人が余程微妙な効果を狙うならともかく)より意味の有るというか効果的な広角である必要がある。つまり遠近感は強調する必要があるし、引き気味で描くなら対象が無駄に切れているというのはまずい。樽型に歪ませるというのは「絵だけど広角だ」と主張する上では有効ですが、本来歪み単体では弱点なので、他の特徴と一緒に出さないとまずいというか有意義でない。

机とその脚、中央の人の脚など遠近感を強調するために使えそうな部分は多少ウソでも違いを出すと効果的です。
頭の上が開いている割りに足が切れていたり、左右の人が微妙な位置で切れていると失敗っぽく見えます。

というか、そもそも広角を効果的にするには、空間に対象を配置する段階でカメラと各対象物の距離にもっとバリエーションが無いといけないわけです。近い物と遠いものがあって初めて遠近感が出るので。この絵を例に手っ取り早く言えば真ん中の人がカメラに手を差し伸べるとか、手前に何か机とか人影とかをなめてメインの対象を描くと効果的なわけです。

(追記 ただ、この絵の狙いがあるとすれば左右対照で印象的な構図だ思うので、広角の歪みだけを利用すると言うのは成功かと言われると微妙ですが一理あるかもと言う気もして来ました。)

まあ今の有村さんの自然な作風と広角は相性がよくないかもしれないですね。
長くなりましたが、とりあえず絵で広角っぽくする意図としては、遠近感の強調が一番だと思います。それにより、単に自然な画面と比べて僕の感覚では絵の攻撃力、暴力性が増すと思います。思うにこれには近いものが大きく見えることによって自分にぶつかるのではないかという感覚に襲われるということが大きい気がします。自分で写真を撮ったりCGのカメラを設定する時に、見る人を絵で攻撃してやろうというノリで広角にするので。これはスピード感についても近いことが言えますね。

と、いきなりあまりに長くなったのでやめます。


追記
ちびまる子、ドラえもんなどのように、一見肉眼もレンズも模倣せずに他人に理解されやすい絵をかくこともできますね。これは現実の模倣からのデフォルメもしくは特定の意味性の抽出ではないでしょうか。むしろこの手の絵から出発してリアルになってきたという流れもあるのでややこしいですが。つまり上の駄文で言えば上手い人があえて外して作画する範疇ということです。